明るい部屋

写真を専門に勉強した人ならば誰しもこの人の名前を聞き、そして著作「明るい部屋」を読んだことでしょう。
ロラン・バルトの「明るい部屋」正しくは「明るい部屋 写真についての覚書」は写真論の古典と言われ、スーザン・ソンタグの「写真論」と同じように写真を勉強している人のみならず、映像、思想、芸術まで関連した指南書的に広く多くの人に読まれています。

さて、読まれた方に大いに賛同していただけそうなことは、正直難しい!ということ。
まずはロラン・バルトは写真家ではないので、写真論といっても写真の技術でもなければ、写真の歴史が書かれているわけではありません。ロラン・バルトは哲学者で批評家、コレージュ・ド・フランスという学問や教育の最高峰で国立の高等教育機関の教授を務めた人物。つまりはものの言い方それ自体を理解するのが難しいのです。
哲学的で、回りくどくて、曖昧で、妙にセンチメンタルな具合の文章は、写真論といえどの視点で読んでいいのかわからないほど読者を翻弄します。
そのため、何度も読み返すことになります。
というか、時間が経つと、ちょっとまた読み返したくなる本なのです。

何度読んでも難しい本ですが、ロラン・バルトのいう「ストゥディウム」と「プンクトゥム」についての違いが写真に関わっているとわかってくるような気がします。
彼はラテン語で勉強を表す言葉「ストゥディウム」を「一般的関心」とし、刺し傷や小さな穴という意味の言葉「プンクトゥム」を「私を突き刺すもの」としています。
つまり写真を、時には感動に満ちた関心を抱くけれど、それは道徳的、政治的、教養と文化を仲介しているストゥディウムと、自分から求めているわけではないのに向こうから矢のように発して突き刺してくるプンクトゥムに分けています。

例えば、以前、若者の発掘に尽力されているギャラリー経営者の話を伺った際に、ポートフォリオを持ってくる人の中で突き刺すようなものがある写真を撮る人は一握り。というお話が印象に残っています。
ああ、まさにストゥディウムとプンクトゥム。
いくら上手な写真であってもそこにプンクトゥムがなければそれはストゥディウムでしかない写真ということですね。

この猛暑の折になんのこっちゃ!と言われてしまうかもしれませんが、文学でも古典が大事、というではありませんか。写真論の古典、なかなか興味深いです。
読みやすい、とは決していえませんが、一章ごとがとても短いところは読み始めやすいです。
まだ読まれていない方、ロラン・バルトの「明るい部屋」、夏休みのお供にいかがでしょう。

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